『ソウルフル・ワールド』に感動した理由

ピクサー映画には毎回やられます。その中でも『ソウルフル・ワールド』は、私にとって、より特別な作品になりました。そこには、『トイ・ストーリー4』の結末について、自分なりに納得できる答えを見つけられたからだと思います。

 

『ソウルフル・ワールド』に感動した最大の理由として、これまで観てきたディズニー作品の中で最も衝撃を受けた『トイ・ストーリー4』の結末に対して感じた、虚無感、誇張して表現すると、「絶望感」から解放してくれたからだと思います。

 

『ソウルフル・ワールド』鑑賞後、頭に浮かんだのは紛れもなくウッディでした。

ピクサー映画・ディズニー映画を消費することで、「成功すること」や「特別な才能や使命、目的をもってこそ人生」という価値観に翻弄されてきた観客に対する、あるいは少なくともウッディのような固定観念によって苦しみを背負ってきた人々への、救済作品であるように感じたのです。

 

今作もこれまでのディズニー映画、ピクサー映画でも、主人公は何かしらの才能や可能性を秘めていて、それを探し求めたり、守ろうとしたり、その能力を発揮してコミュニティーに貢献したりする役割を果たしたりしています。そして代わり映えのない退屈な日常の中で、自分だけにしかない特別な才能や存在意義があると心の奥では信じていて、冒険を通してそれを発見し、昇華させていく過程が語られてきました。

主人公のジョーも、まさにそういった主人公の一人で、中年男性になっても自分には音楽家として生きていく使命があると信じ、母親と衝突しながらも、「自分は音楽をするために生まれてきた」と信じてやまず、ジャズ・ミュージシャンになる夢を追い続けていました。彼は確かにピアノの優れた才能の持ち主で、彼は一貫して、「自分には音楽しかない」という信念に取り憑かれているような状態にいながら、「音楽のない人生は無意味だ」という考えをもっていました。この彼の姿が、私の中で「アンディのおもちゃでなければ意味がない」、「持ち主がいることがおもちゃにとっての幸せだ」という価値観に固執し葛藤し続けていたウッディの姿と重なりました。

 

 

のちに地球で生きることの希望を見つけた22番が、自分も生きる目的を見つけなければいけないという強迫観念に取り憑かれ、"lost soul"になりますが、ジョー自身も実際には描写がなかったものの、なってもおかしくないような(あるいはなっていた・・・?)精神状態だったように思います。

晴れて夢が実現し、憧れのミュージシャンと共演してもなお、彼は物足りなさを感じます。それは彼にとって、「音楽で成功すること」で自分の人生が変わり、全く違う日常が待っているのだと信じていたからでした。「夢が叶ってしまったら次は何をしたらいい?—また新しい夢を探すんだ」というやりとりが『塔の上のラプンチェル』であったのをふと思い出しましたが、「夢が叶ったあと」の喪失感も含めて、今作はより現実的な問題と向き合っているように感じました。

 

 

話が逸れましたが、予告で流された台詞“What do you want to be known for on earth?”に対する答えが本編で明かされるのだろうと思っていましたが、今作の最終的なメッセージは、「きらめき(spark)は生きる目的ではない」ということ、そして「現実世界で生きる準備ができたとき、誰にでも生きる価値がある」ということでした。これまでのディズニー作品で特徴付けられていた、「自分の使命や生きる義務を果たすこと」「自分の目的を探し果たすこと」から転じて、ディズニーの新しい人生観を示しつつ、未来への想像よりも、今いるこの世界への希望を訴えていた点から、『トイ・ストーリー4』における、ウッディが今まで背負ってきたおもちゃとしての使命や目的の呪縛から解放され、自分の人生を生きることを選択した結末にも、納得できるような気がしました。1~4を通して、あれは「ウッディの人生の物語」でもあったのだなと改めて感じました。

 

 

ウッディがボーと生きていく決意をしたあと、残ったおもちゃたちが、“Does this mean Woody’s a lost toy?” “He‘snot lost. Not anymore. "というやりとりをしていました。彼は"lost soul"ではなくなり、「誰か」のおもちゃとしてではなく1体のおもちゃとして生きる道を選んだのだとしたら、あの結末はウッディだけでなく、シリーズを1作目から観てきて、ウッディに同一化してきた観客にとっても、望ましい結末だったのかもしれないなと感じました。

 

余談ですが、4の最後で、新しく作られたナイフのおもちゃが、「私はなぜ生きているの?」と唐突にたずねて終わっていて、なぜ登場したばかりのキャラクターの重い台詞で終わったのだろうと、ずっと不思議に、不気味に感じていました。でもそれは、「何のために生きているのか」という人生においてもっとも本質的な問いに挑戦した今作の、重要な伏線だったのかもしれないなと思いました。

 

まとまらない、自己満な解釈ではありますが、『ソウルフル・ワールド』によって『トイ・ストーリー』を違う観点から捉えることができたし、『トイ・ストーリー』が大好きだったからこそ、今作のテーマがより胸に響いたことが伝われば嬉しいです。